その二 身を捨てての誓い
真魚君は、七歳に成長されたときにはすでに心の中に
「人間とは何であろうか」
「人間のおこなわなくてはならないことは・・・」
といった疑問を持たれ、日々考えておられました。
佐伯家の裏には我拝師山(がはいしざん)と呼ばれる山がそびえていますが、真魚君はこの山の山頂より地上の様子をながめながら、ますます考えを深め、仏の道を求めていかなければならないと思うようになっていたのです。
あるとき、真魚君は我拝師山の峰に立ち、
「わたしは将来仏の道に入り、仏の教えを広めて、多くの苦しむ人を救いたい。私にその資格があり願いがかなうのであれば、わたしがこの峰から身を投げたときに、わたしの命を存続させてください。もしその資格がないのであれば、生きていても意味のない人生ですから、ここで命をお奪いください。」
と誓われて峰より谷底に身を投げられました。このとき、紫の雲とともにお釈迦さまと天女があらわれ、谷底に落ちていく真魚君を天女が受け止めて、救われたのです。
七才にしていくべき道と、仏の教えを広める決意を固められたのがこの「捨身誓願(しゃしんせいがん)」でした。それはお大師さまが自ら求められた最初の試練であり、また出発点でもあったのです。
身を投げられた我拝師山の峰は捨身ケ岳(しゃしんがだけ)と呼ばれ、お大師さまの尊い心の象徴として今も多くの人々に拝まれています。
写真 我拝師山(捨身ケ岳)